『あなたの居場所はどこですか?』
と、訊かれたなら、私の居場所は店。もしくは今住んでる9畳の1K。どちらかを答える。
『私には居場所がない。』とのたまった方がおっしゃっているのは、そういう物理的な居場所ではなく精神的な・・・とでも言うべき居場所なんだろうが、私の場合はどちらにしても先述の二箇所だけだ。
店にいる限り、どなたかがみえる。それはイコール私の存在が認められている、存在することを許してもらえているということだ。居ても意味がある場所。居場所。
我が家は私一人の空間。そこには私だけのルールしかない。誰かのルールに縛られるわけでも、誰かに気を遣うわけでもない。自己を開放でき、安らげる場所。居場所。
ただここで思うことは、店があるから我が家は存在し得るということ。それは社会的世界と個人的世界と換言してもいい。社会的世界の中で居場所があるからこそ、個人的世界の居場所はその存在の意味を成す。個人的世界の居場所だけなら、そんな閉じた世界だけなら、そのうちどうにかなってしまうだろう。
要は社会に認められてなんぼ、社会的な自分の存在意義を見出してなんぼ、ということだ。
『私には居場所がない。』と嘆き続けるくらいなら、今立っているその場所で、自分の存在を力強くアピールできるよう、誰にも言えずに秘めたままの胸のうちとやらを語るところから始めてみりゃいい。
泣いてもいいのはそのずーっと後だ。