私よりちょっと年上の女性(未婚)がおっしゃいました。
『結婚って女性の側からすると、添い遂げるものなのよ。一緒になった人と同じお墓に入る覚悟があって初めてできるものなの。その覚悟がないこと、つまりお互いの都合のいいときだけ会うような関係っていうのは、結局そこに至らないような関係、相手ってことなのよ。』
ごもっとも。結婚は個人同士のものではなく家同士のもの。それがわかっているからこその発言だと思います。
この発言の主は続けました。
『でもね。私の七十を過ぎた両親を見てて思うけど、何十年も連れ添った夫婦でも所詮個は個なのよ。それぞれ考え方も言うことも違うのよ。やっぱり人間は別々なのね。』
この発言はちょっと衝撃的でした。発言内容はこのブログにおいて再三書いていますように、私の思っていることと同じです。
しかしながら、前述の発言をされた方が、相反すると言っても過言ではないことをすんなりとおっしゃったこと、それが受け売りではなくきちんと整理されて納得されていること、何よりこの方が女性であることが衝撃的でした。若干鳥肌が立ちました。
理論的なのが男性で、感覚的なのが女性というのが一般的な認識でしょう。この方の発言はどちらも理論的で男性的です。がしかし、この二つを無理なく受け入れられることは至極女性的だと思えるのです。対称的な二つの事象をすんなりと飲み込めるのは理屈ではなく感覚の成せ得る技だと思うからです。私なら片方にしか振り切れません。自分の中に矛盾が生じるからです。
そこで思いました、この方は非常に素直で自分に嘘をつかない方だろうと。だから発言に無理がありませんし、説得力があります。例え矛盾していると気付いても、自分がそう思ったんだからしょうがないという理由で矛盾を矛盾のまま納得し披露できる能力、それが説得力に繋がっていると思います。
ほんとは結婚について書こうと思って書き始めたのですが、なぜだか思考について書いてしまいました。これも年末のイライラのせいでしょう。イライラ2日目の「なぜこんな簡単な話が通じないのか?」という疑問。それを解く鍵は間違いなくここにあります。
なんだかクドく長くなりそうなので、このへんで撤収!ごきげんよう。