先日ちょっとしたイベントに行ったときのこと。
チケットに【オードブル付き】と書いてありました。その内容に大して期待はしておらず、しかも大して腹は減っておらずの状態で行きました。そしたら結構たっぷり出てきました。
五種類の料理が一皿に五人前ずつ盛られて出てきました。つまり目の前には五種類五皿の料理、その各々が五人前。しかしながら一つのテーブルを囲んでいる五人は知っている同士ではありません。初対面の方と同じ皿の料理を取り分けることの難しいこと。お互い遠慮に遠慮を重ねてしまいました。
結果、各皿には遠慮の塊がほんとに申し訳ない程度に残ってしまいました。
その皿の一つに海老チリがありました。海老が二匹残っていました。それを見て思ってしまいました。
この海老は誰に頼まれたわけでもなく、ここにいる。注文されたわけじゃない。このテーブルを囲んでいる誰かが注文したわけじゃない。別に誰も望んではいなかったんだよな。
それでも誰かの口に入れば、胃の腑におさめられれば意味があるんだけど・・・。このまま遠慮の塊として誰も手をつけないまま、いつしか皿を下げられてしまうんだろうな。で、残飯として捨てられるんだろうな。
でもさ、この海老だって生きていたんだよ。一個の生命だったんだよ。俺たちと一緒、一個の生命だったんだよな。なんだろうな。こいつの生きていた意味って一体なんだろうな。なんだったんだろうな。幸せだったのかな。幸せじゃねーよな。いや、う~ん、よくわかんねーな。
でも一つ間違いなく言えることは、俺がこいつならイヤだな。この状況はイヤだな。うん。
そう思って冷えた海老を一匹食べました。おいしくありませんでした。もう一匹はそのまんま皿に残したままでした。
誰かが食べたのか、そのまんま下げられたのか、それすらも覚えていません。
そんな海老でもかつては生きていたんです。私たちと同様、一個の生命だったんです。
いろんなことを見過ごして生きている自分に気付きました。