過日放送の”情熱大陸”。スポットが当たったのは漁師、村 公一。
彼は鳴門の海でスズキ漁をしている。彼の獲ったスズキは【鳴門のスズキ】ではなく、【村さんのスズキ】の名を冠している。つまり同じ魚場でも、彼が獲ったものは違うということだ。
彼は言う。『獲った魚にストレスを感じさせてはいけない。まずくなるから。』獲った魚は一晩水槽で寝かす。そして明くる日、落ち着いたところを一気にしめる。魚が少しでも早く、少しでも楽に死ねるように心がける。それがおいしさに関わるからだ。
彼は鳴門の海の天候を推し量るのに、ヒマラヤの雪の量までもチェックする。思いつくこと、出来ること、しなきゃいけないことに対して全く手を抜かない。魚の発送の梱包の仕方一つにもこだわる。その姿勢には頭が下がる。そうそうできることではない。
取引先が自分のスズキをどう扱っているか、料理しているかにも多大な興味を持っている。時には取引先に面と向かってダメ出しもする。換言すればお客様を叱るわけだ。これは自分が獲った魚への愛情と矜持が大きいからに他ならない。
すきやばし次郎の小野二郎氏に自分のスズキを握ってもらった。食してもらった。小野二郎は20年間スズキを握っていない。いいものが入らないからだと言う。そんな小野二郎が『うまい。』と言った。『ほんとにうまい。魚の甘味がある。20年振りかな。』その声を聞いた村の笑顔は純粋な少年のそれだった。
彼は大漁でも機嫌が悪い。獲れ過ぎるとその分品質が落ちるからだ。漁師は獲って獲って獲りまくるもの。しかし彼はいいものを獲りたいと言う。生活のためには漁師でなくてはいけないが、漁師であり過ぎればいいものを提供できない。そのジレンマが彼を常に満足させない。漁から帰って来て機嫌がいいことはないと言い切るのはそのせいだろう。
こういった突き抜けた思いを持って仕事をしている人物を見ると涙が出てくる。単純に美しいと思う。人間はこんなにも美しくなれるんだと思う。と同時に自分の不甲斐なさに泣けてくる。日々の徒然に流されている自分が情けなく思えてしまう。
日々精進。気持ちを引き締められた。