ジェニファー・ハドソンがアカデミー助演女優賞を受賞した”ドリームガールズ”。ダイアナ・ロスがシュープリームスとしてデビューしてからの話を基にしたミュージカルの映画化。設定も物語も実話に近い。そして主役のディーナを演じるのがデスティニーズ・チャイルドの一員としてデビューし、ソロになってからも大活躍しているビヨンセなのも興味深い。
ジャズもブルースもR&Bもロックも、もともとは黒人の音楽。その”魂(ソウル)”の部分を取っ払い、つまり換骨奪胎し、聴きやすくアレンジしたものを白人がレコードとして流通させ、利益を得ていた。黒人にその利益が還元されることはなかった。
ジェニファー・ハドソン演じるエフィを中心としたドリーメッツは、ジェイミー・フォクッス演じるカーティスの目に留まる。しかし彼はまだ何者でもなく、白人主導の音楽業界に風穴を開けようと”ニュー・サウンド”を求め続け、その手を汚しながらドリーメッツと共に存在を大きくしていき、確固たる地位を築く。黒人による黒人の音楽で全米を席巻したのだ。
その過程の中でドリーメッツはドリームガールズと名を変える。リードボーカルもエフィからディーナに代わる。全ては売れるためだ。そのためには多少の犠牲はやむをえない。華々しい表舞台とは対照的に、争いや諍いが絶えない裏舞台。光と影。
ドリームガールズの人気は隆盛を極めた。しかしエフィはその犠牲になった。干されたのだ。栄光を掴んだものと挫折したもの。
しかしその栄光も永遠ではない。ディーナとカーティスの公私に渡るパートナーシップが崩れたとき、ドリームガールズは終わった。
ただそこには一筋の光明が差していた。”再生”という名の光明。
ラスト、思わずスクリーンの中の観客と一体化してしまい、拍手を、スタンディング・オベーションをしそうになった。