エメラルド・フェネル監督・脚本、"プロミシング・ヤング・ウーマン"。
ナイトクラブで踊る男たちの無様な下半身の数々。3人の男たちは1人の泥酔した女性を遠目に見ながらなんだかんだ言っている。中の1人がその女性に声を掛け・・・。
"プロミシング・ヤング・ウーマン"、【前途有望な若い女性】というタイトル。しかしながら主人公キャシーは元前途有望な若い女性で、30歳になろうとしている今はやる気のないカフェの店員。家はお金持ちで自身は医学生だったのに、中退してしまってから彼女の人生はかなり下方修正されてしまった。
その恨みを晴らしているのか、夜な夜なナイトクラブへ出掛けては泥酔したふりをしてヨコシマなお持ち帰り男たちに罵詈雑言を浴びせている。
なかなかのサイコパスに見える。だがしかし、その行動の裏には・・・という物語。
序盤は"
ゴーン・ガール"っぽくもある。先の読めなさ、彼女の行動の理解できなさから。そしてちょっと"
エル ELLE"っぽくもある。女性が男性へ復讐するという構図から。
そう、そしてこの物語の行く末は、復讐エンターテインメントって触れ込みから、勝手に爽快感ある結末だと期待していた。観終わってキャシーのカッコよさに痺れるくらいのイメージができていた。
しかしながら全く思ってたのとは違った。爽快感の欠片もなかった。どんより、というのともちょっと違う。なんだろ。哀しいような切ないような。復讐にどれだけの意味があるんだろう、みたいな。
要は復讐云々は物語のおもしろさとしての一要素に過ぎなくて、この物語の原因でもあり、現実世界に蔓延っているジェンダーバイアスについて物申すってのが真のテーマ。その矛先が男たちだけじゃなくて女性たちにも向けられているのが現実的で現在的で、その脚本を女性が書いて自分で監督もしているところに大きな意味がある。
男である我々は、我々にとってのあらゆる【当たり前】を一から考え直さねばならない。その指針となるのが、作中でキャシーが言った『あなたは正しい。疑わしきは罰せず。・・・でも被害者が愛する人なら?』だ。つまり、愛する人に同じことができるか?ということ。
男女が、いや、全ての人間が平等な世界になりますように。