吉田大八監督、"紙の月"。早船歌江子脚本。原作は角田光代の同名小説。
キリスト系の女子校の机で5万円を封筒に入れる生徒・・・。
1994年、梅澤梨花は銀行のパートから契約社員になり外回りの仕事に励んでいる・・・。
梅澤梨花が最初は1万円を借りて、もちろんすぐ返してってところから始まるのが【ありがち】だなと。大半の人はここで踏み止まるけど彼女はそうでなかった。
大学生の光太と出会い、夫の自分への関心の低さや気遣いのなさへの不満が自分でも思っていない形で現れてしまい、朝を迎えてしまったところから始まるのも【ありがち】。大半の人はそこから先へ進むのに躊躇するけど彼女はそうではなかった。
紙の月は偽物の月。
始まりから偽物なんだから、いつか終わりが来るのも当然。そして終わったなら、それは惨め。
梨花はそう思っていたに違いない。だから途中で認知症かと思われたおばあちゃんの『偽物だっていいじゃない、きれいなんだから』というしっかりした言葉に、あんなに大きく反応したのだ。
そして最後の隅さんとの会話に繋がる。どっちが惨めなのか。横領したお金でやりたい放題したけど露見したのが惨めなのか、何もやりたいことをやらずにただ生きているのが惨めなのか。果たしてどっちが惨めなんだろう。これは難題。
きれいだったら、例え一瞬だったとしても楽しかったのなら嬉しかったのなら幸せだったのなら、それは惨めではない・・・気がする。
けれども女子校時代のエピソードでまた分からなくなる。
シスターの【受けるより与える方が幸いである】という言葉を信じた若き梅澤梨花。だからと言って手段を選ばないのは如何なものか。
しかしながら、自己満足のために与えていたに過ぎないと結論してしまうのは早計な気がする。
彼女の行いは確実に偽物だけど惨めではない。けれどきれいでもない。若さゆえの真っ直ぐさと無知蒙昧さが入り混じって答えが見えなくなる。
序盤ではおとなしく暗い表情だった梅澤梨花が、破滅に向かって行くのに反比例して華やかに明るくなっていく様が見事。
そして終盤、梅澤梨花の、演じる宮沢りえの走る姿の美しいこと。行くべきところへ行こうという強い意志が見えた。
ラスト、彼女は若き自分の行いを思い出して幸せな気持ちになれたんだろうか。
僕にはそうは見えなかった。
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紙の月" ★★★★☆