今日、10月28日は父方の祖母の命日。なので墓参りに行ってきた。
祖母はスミエという名で、私はスミエばーちゃんと呼んでいた。祖父は私が生まれた時にはすでに他界していた。
このスミエばーちゃんに初孫の私はとても可愛がられた。幼稚園から帰ると毎日お小遣いを100円くれた。これは子供にしたらかなりの大金である。毎日100円ということは1ヶ月に3000円である。小学校の3年生くらいで親にもらったお小遣いは1ヶ月に1000円とかだった気がする。なのでこの幼稚園時代は私の中でプチバブルだったのである。
そんなプチバブルの使い道は決まっていた。毎日その100円を握りしめてミヤコ屋に行くのである。今はぴらもーるの角っこの鹿児島銀行のATMがあるところ、あそこが昔はミヤコ屋(と私たちは呼んでいた。正式名称はミヤコ玩具センターだったかな)っていうおもちゃ屋さんだったのだ。
そのミヤコ屋に幼なじみのトモハルとシンタロウと3人して毎日行った。そしてカウンターで100円玉1枚を10円玉10枚に両替をしてもらう。10枚の10円玉を握りしめて向かうは店前のガチャガチャだ。20円で1回できるガチャガチャを5回する。出てくるのはウルトラマンの怪獣たち。レアなものなんてなかなか出ない。そして出てきた怪獣でトントン相撲をするのが日課だった。
閑話休題。
スミエばーちゃんである。
数年前、幼なじみコウジのお母さん、私からしたら小さい頃から知ってるおばちゃんが弊店に飲みに来た時に聞いた話。
数十年前、私がまだ小さかった頃、何かがあってうちに来て手伝いをしていたそう。で、その際に残ったご飯を「いいかな」と思って捨てたんだそう。そしたらそれを知ったスミエばーちゃんが烈火の如く怒ったらしい。いつもめちゃくちゃ優しい人だったのに。だからそのおばちゃんも強烈に記憶に残っているって言ってた。
私の中にある「米は残すべからず」の精神はスミエばーちゃんによるものなんだと確信した。そう、「米1粒には7人の神様がいる」ってスミエばーちゃんに教わったもの。
これは今でも守っている。私が米を残すことはない。そもそも食べものを残すことがないんだけど、米は更に別格で、ない。
そんなことを思い出している本日である。
ごきげんよう。