山里亮太著、"天才はあきらめた"。
南海キャンディーズの山ちゃんこと山里亮太の自叙伝。2006年に出版された"天才になりたい"に大幅に加筆・修正、改題して12年後の2018年に刊行された。
"天才はあきらめた"ってタイトルがすばらしいなと思って手に取った。てっぺんを取りたかったっていうかつての貪欲さと、そこには至れないと認めざるを得なかった哀しさの両方が詰まってる。さすが山ちゃん。
と思ったら、【はじめに】で以前のタイトルは"天才になりたい"だったと書いてあって、それだと結構普通だなと思ったし、そこからの12年があったからこその改題なんだなと思えば、それはとても意味のある12年だったと思う。そして読み進めると本当にそうなんだと理解する。
山里亮太、なぜにそんなに暴君で、なぜにそんなに嫉妬の塊で、なぜにそんなに卑屈なのか。
これを読む限り、お母さんにとてもかわいがられて育ったのに。全然育ちが悪いとかじゃない。むしろとてもいい家の子。
なのに最初の侍パンチでも次の足軽エンペラーでも相方に対しては暴君。ピン芸人イタリア人を経ての南海キャンディーズでも相方しずちゃんに対して強い敵対心を持つ。相方だけがどんどん売れていくのに納得がいかず陰湿な行動に出る。
一方で売れてない頃から嫌なことをされたり言われたりしたらノートに記す。いつか売れた時に復讐するために。
そう、彼にとって全ての負の感情、醜い感情は売れるための、芸人として前に進み上に昇るためのガソリンなのである。そのガソリンの量がハンパない。めちゃくちゃ燃費が悪い。そんなに次から次に必要?ってくらいガソリンを自ら生み、注入していく。
山ちゃんを、つまり南海キャンディーズを知ったのは2004年のM-1グランプリ。とても鮮烈だった。あの時の医者ネタは最高だった。準優勝も当然だった。
当時を知ってるからこそ、この辺の裏側が非常に興味深い。如何にしてM-1準優勝に至ったか、そして堕ちていったか。確かに翌年のM-1で「あれ?去年のはなんだったの?」って思ったもの。で、2人ともピンの仕事ばかりになって漫才をやらなくなったもの。もうコンビ仲が悪いっていう印象になっていたもの。
だからまたM-1に挑戦したってニュースで知った時にはびっくりした。本書にある、そこまでの遅々としたコンビ仲復活の流れはちょっと泣ける。山ちゃんのお笑いへの想い、先輩であるメッセンジャーあいはらの一言、しずちゃんの南海キャンディーズへの想い、2人の意識の変化。
いろんなことに気付き、単独ライブの開催に至る。また2人で南海キャンディーズとして漫才ができてよかったなと思った。
今度テレビで南海キャンディーズのネタを観たら、今までとは違った感情が発動してしまうだろう。いや、私のそんなちんけな感情なんぞ軽く吹っ飛ばすくらいの笑いを提供してくれるはずだ。そう信じてる。
"天才はあきらめた" ★★★☆