中島らも著、"今夜、すべてのバーで"。
18歳から17年間、毎日1本くらいのウイスキーを飲み続けてきた小島は黄疸の症状が出たために市立病院へ来た。検査の結果、γGTPは生きてるのが不思議な1300という数値で、即入院を言い渡される・・・。
大好きな作家、中島らもの自身の体験に基づく初期の小説。何回も読んでいるし、前に
このブログにも書いている。
なんだか、ふと読み返してみた。
あぁ、こんな話だったなーと思いつつ、途中のアル中テスト(正式には久里浜式アルコール依存症スクリーニングテスト)をまた性懲りもなくやってみて、13.1いう数字をマークしてしまい、これが主人公・小島の12.5を上回っている事実に驚愕し、小島の先輩である井口さんの14よりはまだ下回っていることに安堵したりしながら読み進めた。
もちろん前に読んでいるので物語としての感動とか驚きってものは薄い。
けれどやっぱり覚えてないこと、つまり以前は心に引っ掛からなかったであろうことがあり、それが今回は沁みたりするから読書はおもしろい。
夜泣き爺いが亡くなった直後の小島と三婆との会話。「死んじゃえばいっしょでしょう?」と言う小島への三婆の言葉。
『そんなことあるもんかね。人が憶えていてくれるってことは、その人は生きてたかいがあるんだよ。ベートーベンだのバッハだのって(後略)』
それを受けて小島が言う。
「(前略)作品が残るってことは自分のどっか一部が生き残るってことですからね」
この会話が今回は最も心に響いたし残った。
私の年齢的なものもあるんだろうけど、昨年から今年にかけて、知ってる方が亡くなったって話を幾度となく聞いている。そしてその度にその方々と接した時のことを思い出している。
その思い出している瞬間、亡くなった方々は生きていたかいがあったってことになるのかな。んー、なるって信じたい。
もちろん、私が今作をまた読んだってことは、中島らもにとっては生きていたかいがあったってことになる訳だし。
やっぱりそんな周期なのかな。
いろんな人の、いろんなことを思い出しながら、たまにはバーボンでも飲んでみよう。
今夜、弊店で。
ごきげんよう。