
柚月裕子著、"最後の証人"。
ホテルの一室、倒れたディナーワゴンを挟んで向かい合う男女。女の手にはディナーナイフ。その切っ先は男へ向けられている。たじろぐ男。女は『あの子の復讐よ』と、つぶやいた・・・。
佐方貞人シリーズ第1作だけど、時系列的には3作目の"
検事の死命"よりもかなり後、佐方貞人が検事を辞めて弁護士になってからの物語。
なので読んでてちょっと不思議だった。読むべき順番を間違えた私が悪いんだけど。しかもこの後に2作目の"検事の本懐"を読むし。
けれどもやっぱり佐方貞人は好きなキャラクターだった。またしても脳内では萬平さんに変換。今回は年齢も相応なので更に萬平さんだった。
そんな佐方貞人、主人公なのにかなり出番が少ない。周りの人の胸の内は語られるけど、彼の心情は全く語られないスタイル。ゆえの出番の少なさである。
とはいえ最後はがっつり持っていく。主人公なんで。いわばホームズなんで。
そんな設定とか物語の運び自体は好きなんだけど、いかんせん最初から3分の2あたりまでの読者のミスリードを誘っていると思しき演出があざとい。
私、かなり序盤でそのことに気付いてしまったので尚更。気付かずに読んでいたら明らかにされた時点でびっくりはするだろうけど、それより普通に記して普通に思いを積み重ねさせていった方がいい気がするんだけどな。
というのも、巻末の解説で今野敏が書いていた『柚月は動機に力を入れている』に非常に共感したから。『犯人の動機に考えさせられることや、感動することが多い』ってのは、本当にその通りだと思う。"
慈雨"にしろ"
盤上の向日葵"にしろ。
だから、そのためにはあの演出は必要だったのか?効果があったのか?って考えると、ちょっと疑問なのである。
物語の終盤で出てきた台詞がとてもいい。
誰でも過ちは犯す。しかし、一度ならば過ちだが二度は違う。二度目に犯した過ちはその人間の生き方だ、と。
これはすばらしい。必要な寛容さと、あるべき手厳しさが非常に理解しやすい、納得しやすい形で収まっている。名台詞。
これを耳かっぽじって聴いて欲しい、目の玉おっぴろげて読んで欲しい人、いるなー。でも本人はピンとこないんだろうなー。生き方だもんなー。
美しく、気高く生きたいものだ。
ごきげんよう。