先日数年ぶりに、指宿は唐船狭のそうめん流しに行きました。鹿児島の夏の風物詩。鹿児島県民なら、流れていなきゃそうめんじゃないと思っているはずです。
ビールを飲みつつ、鱒の塩焼きを食べつつ、流れているそうめんをひとすくい。つゆにつけて啜りました。
パッと目が覚めるような感覚が襲ってきました。これです、これ。これがそうめんだという感覚。
そうめん自体は好きなので自宅でも食べるんです。しかし幼い頃から食べていた、慣れ親しんだそうめんの味とはちょっと違うと常々感じていました。なにがというわけではなく、なんとなくなんですけど・・・。
それが唐船狭で食べたときにはっきりしました。そうめんのなめらかさと、つゆの甘さ。これが昔から食べていたあの味を作り上げていたのです。
そんなに真剣に一口目を食べたわけではなく、ただ食べたら味の感覚が甦ってきたのです。おもしろいですねぇ。人の記憶というものは。
五感のうちの一つ、味覚。舌が記憶していることもあるんですね。三つ子の魂百までという言葉通り、幼い頃に慣れ親しんだものはずっと記憶としてあるのでしょう。
いまだに焼肉のタレはなべしまのタレが一番おいしいと思ってますし・・・。