米澤穂信著、"王とサーカス"。
2001年6月1日、太刀洗万智(たちあらいまち)はネパールの首都、カトマンズのトーキョーロッジ202号室で目覚める。新聞記者を辞めてフリージャーナリストになったばかりの彼女は、雑誌の旅行特集のための取材に来ている。宿から出ると現地の子供が話しかけてきて・・・。
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満願"で初の3冠を成したと思ったら、今作でもまた3冠の米澤穂信。これを読まないという選択肢はない。
ミステリーだと思って読み始めると、舞台がカトマンズで情景描写が多く、ちょっとルポルタージュな雰囲気の冒頭。
すると王宮にて国王らの殺害事件が勃発。主人公がフリージャーナリストとして事件の取材を開始し、なるほど、そういうミステリーかと納得して読み進める。
勝手にこの王宮事件を解決するのかと思っていたが、実はこの王宮事件は実際に起こった事件。
ネパール王族殺害事件としてWikipediaにも載っている。
てことはフィクションの世界の住人である彼女が解決するわけはない。つまりこの事件は物語への導入でしかなかった。
なので今作はミステリーとしての出だしがとても遅い。中盤くらいになってようやく本編ともいうべき事件が起こる。
じゃあそれまでは退屈かというと全くそんなことはない。むしろ事件直前の章であり、タイトルにもなっている【王とサーカス】の章なんて今作中の白眉だとさえ思う。
ラジェスワルと対峙し問われることで、主人公が自身が取材する意味、ジャーナリズムの意義にまで疑問を持つ。これは同時に読んでる我々に対する問いでもある。
ミステリーの範疇を超えた真摯で辛辣な【問い】である。ゆえに深く、難しく、ちょっとやそっとじゃ答えは出ない。
主人公と一緒にその問いを抱えたまま読み進む。答えを模索しながら。
主人公は当然ながら彼女なりの答えに辿り着く。そしてもちろん最後にはミステリーとしての結末がある。
けれどやはり結末も一筋縄ではいかなかった。何が正しいのか、正しいとはなんなのか、再び考えさせられることになる。
今作は全てのメディア関係者必読の書だと言える。
ジャーナリズムに限定されないメディア全体の本質と意義、伝達や表現の手法の是非を自身に問うて欲しい。
そしてSNS等で気軽に情報が発信でき、また同時に得られる時代であることを鑑みれば、メディア関係者だけでなく、我々一般人も同様である。
つまりこのご時世においては、みんなが読んでおくべき一冊だと思う。