
山本譲司著、"累犯障害者"。
2006年1月7日未明、JR下関駅は炎に包まれた。死傷者こそ出なかったものの、街のシンボルだった歴史ある駅舎は焼失。交通機関も麻痺し、4万2千人の足に影響が出た。出火の3時間後に現住建造物等放火の容疑で逮捕されたのは、8日前まで刑務所に服役していた福田九右衛門、74歳。動機は『刑務所に戻りたかったから』だと言う・・・。
知的障害者や身体障害者が何度も罪を犯し、刑務所の出入りを繰り返していることは、個人だけではなく社会の問題でもあるということを追求していくルポルタージュ。
著者は衆議院議員まで務めたものの、2期目に政策秘書給与の流用事件を起こし、実刑判決を受け、433日間獄中で暮らした元受刑囚。
そんな著者だからこそ書ける、刑務所内で体験した、知った、気付いたエピソードの数々。これがどれもこれも切なく胸に迫る。
辛くて読み進めるのを躊躇した。1章を読み終えるごとにインターバルが必要だった。ゆえにこの1冊を読み終えるまでの間に並行して読んだ小説が3冊。私にしたら異例中の異例だ。
読み終えたら読み終えたで、この感想文を書き始めるのにも躊躇した。書き始める前にまた別の小説を1冊読み終えた。こんなこと、かつてない。
なぜそんなに躊躇してしまうのか?
それはおそらく、知らな過ぎた自分というものを知ることへの羞恥心のせい。
こんなに多くの問題が存在しているのに、私は今まで全く無知で無関心で、さも何事も起こってないかのようにのほほんと暮らしてきた。そのことがとても恥ずかしくなってしまうからだ。
知的障害があるゆえに犯罪者になる人がいる。認識できない。学べない。反省できない。だから罪の意識なく簡単に犯罪に手を染めてしまう。
知的障害があるゆえに犯罪者にされる人がいる。警察でも裁判所でも、ある程度の認識力があるという前提で物事は進む。認識力が足りてなかったら、あちらの言うがままに事は進んでしまう。いとも簡単に犯罪者にされてしまう。冤罪の構図。
知的障害があるゆえに売春や風俗で糧を得る女性がいる。そこでは必要とされ、大事にされるからだ。性への執着が増していく彼女たち。結果、セックスから離れた生活に疑問を持つようにすらなる。
情緒障害というものもある。多重人格などがそれにあたり、性的虐待などによって引き起こされる。
ろうあ者の置かれている状況、抱えている問題は想像以上に深刻だった。まず、私の知っている手話と、ろうあ者同士の手話が別ものだというところから話が始まる。そしてろうあ者によるコミュニティーの存在。その関係性の強さと脆さ。ろうあ者が健常者による指導を受けて、健常者主体の社会で生活することへの疑問と矛盾。
どのこともどのことも、知れば知るほど憤ることばかり。
どのこともどのことも、知らずに生きてきて申し訳ない気持ちになった。
社会がきちんと受け皿を用意でき、福祉がもっときちんと障害者に寄り添ったものになるよう、心の底から願うばかりだ。