塩田武士著、"罪の声"。
父の光雄が京都の住宅街で自宅兼店舗として始めたテーラー曽根はもう33年になる。数年前に他界した父の跡を俊也が継いだ。俊也の母は4日前に吐血して入院中。母からアルバムと写真を持ってきて欲しいとメールが来たので、それらが入ってるという電話台の引き出しを開けた。奥にカセットテープと黒革のノートを見つけて・・・。
昭和の未解決事件であるグリコ・森永事件。1984年〜85年にかけての事件で、当時、私は小学生。かい人21面相なる人物、キツネ目の男が菓子に毒物を入れて菓子会社を脅迫した事件と記憶している。
そのグリコ・森永事件をモデルにし、徹底的な取材と鋭い着想から、フィクションでありながらも、真実はこうではなかったかと思える程の説得力で「ギンガ・萬堂事件」を紐解いていく。そして残された者たち、つまり現在も生きているであろう事件関係者の家族たちにも迫っていく。
カセットテープには声が入っていた。事件に使われた、指示を与える声。それは子供の声だった。
となれば、この声の主は今どうしているのか?という疑問が生じるし、その辺がこの小説の着想の取っ掛かりではないかと思われる。
確かにそうだ。今もおそらくあの声の主たちは生きているに違いない。そう考えた方が自然だ。ならばその主たちは、今どういう想いを抱えているのだろう。いや、そもそも犯罪に使われたと理解、記憶しているのだろうか。
タイトルの"罪の声"。カセットテープの声自体が犯罪に使われたという意味で"罪の声"であり、年が経ち、自分が過去に犯した罪を告白するのも"罪の声"。2つの意味を備えた、とても秀逸なタイトルだと思う。
そしてこの装丁が静かに、でも確実にその重さ、罪深さを訴えてくる。だからこの表紙にやられたようなものだ。読まされたようなものだ。
読んだからといって幸せになることもないし高揚感を得ることもない。ため息をついてしまうような内容だ。
1つの犯罪によって人生が変わってしまった人たちが、たとえその犯罪の中心にはいなくとも、存在するんだってことを認識した。
読み終えて改めて、帯にある『家族に時効はない』って言葉に心をえぐられた。