菊地成孔著”スペインの宇宙食”。彼がいろんなところで書いた文章を編んだ初のエッセイ集。この冒頭にある”放蕩息子の帰還”なる掌編。似たような出自をもつ身としては、言葉にできないような感情、記憶、ノスタルジー、を呼び起こさせられた。
そして、とてつもなく深く重たいものを思い出させてくれた。
とはいえ、それが何かは具体的にはわからない。そのときの”匂い”のような空気であり、決して映像ではない。掴みたくても掴めない、しかし確実にある何か。それが私の心に現れたことだけは確かだ。
菊地氏は千葉県銚子市の歓楽街に生まれた。広くはないが狭くもない街の中に洗練と猥雑と暴力がひしめきあっており、あまりに過剰なそれらが街をくすんだ色合いにしていた。
彼の実家は料理屋で、幼い頃は手伝いをするのが当たり前だった。体に比して大きいおかもちを持って、近所のスナックに出前を持っていく。
そこが、それが、彼にとっての日常であり、世界のすべてであり、初めて世間と触れ合うということだった。
私は鹿児島市唯一の繁華街(以前はいうまでもなく、現在もそうだと疑わない)、天文館に生まれた。半径500メートルの中に、デパートと市役所とレストランと学校とスナックと映画館とヤクザが詰め込まれた街だ。
私の実家(今はもうない)も料理屋で、幼い頃は手伝いをするのが当たり前だった。出前を一人で持っていくことはなかったが、お供はした。おしぼりを巻いたり、足りないものを上の階に取りにいったり、簡単なおつかいは当たり前のことだった。
隣はタバコ屋で、そこのおばちゃんには可愛がられた。ふわふわした小さな犬がいた。
向かいは果物屋で、おばちゃんにおやつをもらった。かなりの時間をそこで過ごした。
今の私の職業を思えば、これらが私にどれだけ影響を与えたかは言うまでもない。
というよりも、私はこのときの世界から逃れることができずに今に至っているだけだろう。
逃れたくても逃れられないのか、逃れたくないのか、わからない。
ただ、今は逃れられないでいることだけは確かだ。
そして、おそらくこれから先も逃れられないだろう。
スペインの宇宙食
菊地 成孔 / 小学館
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