能町みね子著、"お家賃ですけど"。
"私"が22歳の頃に住み始めた牛込の加寿子荘は、すでに築40年を越す古びたアパートだった。アパートと言っても共同玄関だったりして、下宿のような作り。そんな加寿子荘が大好きで、あ、と言っても加寿子荘を加寿子荘と読んでいるのは"私"だけで、不動産屋では坂井荘と紹介されていて・・・。
エッセイスト(?)漫画家(?)タレント(?)の能町みね子のエッセイだと思い込んで読んでいたら、裏表紙に自叙伝風小説って書いてあった。なるほどなるほど。その方がなんだかストンと腑に落ちました。
深夜バラエティ番組"
久保みねヒャダのこじらせナイト"が大好物な私。久保先生は漫画家。ヒャダイン(呼び捨て)は音楽家。だけどこの能町さんだけは何者なのかが分からなかった。何者どころか性別もよく分からない。
けれどそんなことは大して重要じゃなくて、久保みねヒャダ御三方が仲良さげでバランスのいいトリオで、番組自体がとてもおもしろいから、本当にそんなことはどうでもいいことだったのです。
ただでもやっぱり興味はわく。人間ですもの。それが性ってものです。なのでツイッターをフォローしたところ、その呟きがあまりにも自然で飾らない正直で無防備な、ゆえに時として危ういもので、俄然その人となり、発言にシンパシーを感じたり好意を持ったりするようになりました。
そしたら今度は著作を読んでみたい。それが自然な流れです。そう、ちょうどそんなタイミングで今作が文庫化されて、能町さんがツイッターで、もし自分の著作を読んだことがなくて興味がある人はまず今作を読んでみるのがオススメですという意のことを呟いていたので、ならばと思って読んでみた。
うん、やっぱり能町さん、かわいい。"私"が大家さんである加寿子さんをかわいいと思うのと同じように、この本の"私"はかわいいと思った。だからこれを書いてる能町さんもかわいい。
なんだかふんわりしているのです。文体というか世界観が。感情の振れ幅が小さいのかな。穏やかなの。マイナスの方にはできるだけ行かない、近付かない。こう、プラスの方だけで、大きくじゃなくてもいいから、小さくてもいいからプラスの方だけでなんとか穏便にすまそう、みたいな。
なので、ずーっと読んでいられそうだなって思った。心地よくて。
帯にある『家のこと語るとき、のろけてるみたいだよね』が、とてもしっくりくる加寿子荘偏愛物語。
・・・
私、小学校の国語の時間に習ったことを今でも忠実に守っているので(三つ子の魂、百まで的な)、一つの文章の中で『です・ます』調と『だ・である』調を混在させることなく、このブログを書いています。日によって、どちらかの調で統一しているのです。(多分、ごくごく一部に例外はあります。)
けれどこの本を読んでそこに疑問を持った。多分、初めてのこと。
そうなんです、この本、調が混在しているのです。最初こそ違和感を覚えますけど、でもそれに慣れてくると不思議なリズムが出てくるのです。
もしかしたらそれが穏やかさの根源かもしれない。
そう思って、今回のブログは調を意識的に意図的に混在させてみました。なんだか穏やかな感じがしなくもありません。
これからいつものようにツイッターに「ブログをアップ。能町みね子著、"お家賃ですけど"。」ってツイートをする。いつもと違ってちょっと勇気がいる。なぜなら能町さんはエゴサーチを積極的にする派だからです。
読んで欲しいような欲しくないような、でもやっぱり読んで欲しい。だから引っかかれ、みね子のエゴサーチ!
ごきげんよう。ウフフ。