ドラマ
”鈴木先生”で鈴木先生が他の先生たちにこんな意味のことを言っていた。
『結論ありきの議論は議論ではありません。お互いが不完全なものを持ち寄って、議論によってお互いが納得できる結論に達する。先がみえないからこそするのが議論だと思っています。』
観ていてなるほどなぁと思ったし、全くもってその通りだと思った。
でも。
一発目でガツンと「それは違う。」と思ってしまったら、僕はどこまでいっても「それは違う。」としか思えない。
誰に何を言われようが、どう言い返されようが結論は変わらない。議論の余地なし、だ。
と言って、何から何までそんなことを言ってるわけではない。むしろ、そこまでこだわって言うことなんてほんのちょっとしかない。だからこそ、そこは曲げたくないし、曲げられない。
自分を頑固だなんて思わない。逆にこだわりがない別になんでもどうでもいいですってことだらけの人間だと思っている。そんな人間が「それだけはイヤだ。」って言ってることくらい通ったってよくないかなと思うんだけど。
それがただの僕の独りよがりで『否!』と言うのならば、それこそ【議論】というプロセスをキッチリ消化して欲しい。僕の発言をちゃんと一から十まで聞いて理解して、その上での反論という議論のフォーマットに則って欲しい。
それができないなら僕が言っていることと同じように結論ありきの話ってことなわけで。
おかしなこと言ってるかな?自分じゃ分からないや。
ごきげんよう。