Theピーズの”日が暮れても彼女と歩いてた”。
歌詞は『日が暮れても彼女と歩いてた・・・』だけど、終盤、明らかに『気が触れても彼女と歩いてた・・・』って歌われている。
昨日、ここの歌詞の話になった。どっちの気が触れたんだろう?って。自分なのか彼女なのか。
あんまり歌詞をちゃんと読んだことがないまま、僕は彼女が気が触れたんだと思い込んでいた。『気が触れても』って言っているんだから、歌っている自分はその判断ができてるわけで、てことはつまり気が触れていないはずで、だから彼女が気が触れたんだと思い込んでいた。
歌詞を読んでみた。丹念に読んでみた。
”花もて語れ”で学んだ朗読の仕方を真似て読んでみた。
僕なりの答え。
気が触れたのは彼女ではない。と言うのも、彼女はもう存在しない。自分は実際に彼女と歩いてるわけではなくて、彼女の
思い出と歩いてたんだ。『ひとりずついなくなっ』て、最後に彼女だけになったけど、最終的には彼女もいなくなってしまった。そしていなくなった彼女の思い出と一緒に日が暮れても歩いてたんだ。
そして自分は思う。日が暮れても彼女の思い出と歩いてるなんて、ついに僕は気が触れてしまったと。
ここで肝心なのは、自分はちゃんと気が触れたと判断できる客観性を持っているってこと。てことはつまり自分は気が触れたわけじゃない。そう思い込みたいだけなんだ。いつまでも彼女の思い出にすがっている自分を正気だと思いたくないんだ。
だから誰も気が触れたわけじゃない。もういない彼女のことを忘れられないダメな男が独り、こんなに彼女のことを思い続けているなんて自分は気が触れてしまったに違いないと思い込みながら、日が暮れても背中を丸めて川沿いをトボトボと歩いている光景。
僕にはそんな光景が見えた。どうかな?
ごきげんよう。