
やっと録画してたドラマを観終えた。岡本太郎生誕100年を記念して作られたNHKの”TAROの塔”。
私の年齢だとオンタイムで『芸術は爆発だ!』のCMを観ていて、本当は芸術家らしいけどテレビに出ている変な人ってのが岡本太郎という人物の共通認識だったと思う。
彼の語録からほとばしる熱さや、たった一つの作品さえも売ってお金を得たことはなかったという伝説は、大人になってから知ったことである。
ドラマはタイトル通り、大阪万博の太陽の塔を作る際のエピソードがメインであるが、そこに至るまでの太郎の生き様、そこからの葛藤も描かれている。
父親は画家を志していたが志半ばで風刺漫画家になった岡本一平。母親は歌人で小説家の岡本かの子。太郎は幼少時からかの子に芸術の手ほどきを受けた。かの子のエキセントリックな言動に翻弄され続けた。後に太郎は言う。『かの子は母親ではなく同志だった。』と。そう、かの子がそうであったように太郎も闘い続けた。体制や権力、常識と生涯を通して闘い続けた。そのブレない姿勢に人としての美しさを見る。
このドラマを観て、今まで悶々としていた自分なりの芸術観ってものがはっきりした。太郎が言う芸術ってものは、私が思うロックンロールとなんら変わらないってことに気付いた。つまり観た聴いた触れた自分自身が燃えないものはいいものではないのだ。観て聴いて触れてグッときて、そしてそのグッときた思いを自分の生活の中で昇華させようと感じさせてくれるもの。それこそが芸術なのだ。
『真の芸術は芸術であってはならない。芸術家は真の人間でなければならない。』
生きることに徹底的にこだわった人間が表現したものが、触れた人の心を掴んで揺さぶらせて何かを起こさせる衝動を与えた時、芸術と呼ばれるに違いない。
岡本太郎が作った『べらぼう』な太陽の塔を見てみたい。