ロックのライブに行って、げんなりすることがある。
オーディエンスが拳を突き上げるのではなく、人差し指を突き出して腕の曲げ伸ばしでリズムをとるようなアクションをしだした時だ。
拳を突き上げるというのは、溜まりきった鬱屈や憤りをライブという場の爆音の音楽を媒介にして一気に昇華させる時に出てしまう行為だ。つまり自分で抑えられない感情、自分の中のロックンロールがグルグルと渦を巻いていった末に爆発した証なのだ。
一方で人差し指な行為は、パフォーマーに自分はノッてますよということを表現しているようにしか見えない。興醒めしてしまう。
昨日はエレファントカシマシのライブに行った。
聴いていなかった期間が数年あって行ったのでどうかなぁと危惧していた。この聴いていなかった期間ってのは結構【いい歌】を歌っていてCMやなんらかの主題歌として耳にする機会が多かった期間でもある。
昨日のライブ、早い段階での”悲しみの果て”がよかった。やっぱり名曲だと思った。中盤、アコギ一本で”珍奇男”が始まった時は「うわ、これ演るのか。攻めるなぁ。」と思った。しかしながらその前後は最近の【いい歌】のオンパレードだった。【正しいこと】ばかりだと【正しいこと】のはずなのにその正しさがぼやーっと曇ってしまうなぁと思った
そんな【いい歌】の時に人差し指が多かった。
ライブに集中できないなぁと感じ始めたところで”デーデ”だった。『金があればいい』と歌う”デーデ”だった。
【正しいこと】は馬鹿馬鹿しいことやくだらないことや嘘や退屈の中に散りばめてこそ、その正しさがが伝わるんだと確信した。
そして”ガストロンジャー”。「やっぱ攻めてる。」と思った。ここで一気に燃えた。拳を突き上げた。曲の終わり間近、「この後が”ファイティングマン”だったら完璧だ。」と思った。
完璧だった。”ファイティングマン”っだった。僕は何度も拳を突き上げ、咆哮し、跳んだ。他のオーディエンスのことはもうどうでもよかった。
自信を全て失っても 誰かがお前を待ってる oh yeah
アンコール。”桜の花、舞い上がる道を”と
”四月の風”。
四月のこの季節だからこその歌。さっきの激しい2曲との対比でものすごく美しく聴こえ、じんわりと体に染み入るような歌だった。素直に「明日もがんばろう。」と思えた。
だから今日もがんばろう。誰かが僕を待ってる oh yeah。
ごきげんよう。