飯嶋和一著、”出星前夜”。
時は寛永14年、ところは長崎。25年の長きに渡り理不尽な年貢を納めさせられていた南目の人々。それを受け入れていたのは彼ら彼女らが元々はキリシタンだったからに他ならない。棄教してもゼス・キリシトの教えを胸に携えていたのだ。しかし我慢の限界を超えた彼ら彼女らは、遂に矜持を守るために立ち上がった・・・。
飯嶋和一が描く登場人物は、皆、芯が通っている。そしてその芯が太い。そこがすごく魅力的で、私が彼の小説が好きな理由でもある。頑固で不器用で、しかし高潔で、確かな矜持を持っている彼や彼女。こんな人間に会いたい、こんな人間になりたいと思う。
そしてそんな登場人物が紡ぐ物語もこれまた骨太で、史実に忠実な上でのフィクションはあらゆる角度から描かれていて、各々がそうせざるを得ない、諸々がそうならざるを得ないはがゆさやもどかしさを、じわじわじりじりと読み進んでいくことになる。時に頷き、時に溜め息、時に憤り。特に官と民の意識の差、温度差に。
帯に引用されてる言葉が時代を超えて現代に響く。
すべての民にとって
不満のない世などありえない。
しかし、
民を死に追いやる政事(まつりごと)の
どこに正義があるというのか。
今度の日曜日は参議院議員選挙だが、政事を担う方々がありったけの正義ある姿勢を見せてくれることを願う。