セオドア・メルフィ監督、"ドリーム"。原題は"Hidden Figures"。
1961年、州によっては白人と有色人種の分離政策が行われているアメリカ南部。NASAのラングレー研究所であってもトイレは別々。しかしながら優秀な黒人女性たちが多数働いており、中でもキャサリンの計算能力は天才的で、彼女の同僚のドロシーとメアリーも非常に優秀であり・・・。
とっても良質の映画。小学校の道徳の時間(って今もあるのか?)に観せて欲しいレベル。
人種差別、男女差別に真っ向から否と物申し、努力はちゃんと報われるってことを示してくれる。それも痛快なエンターテインメントとして。
差別って何もいいことない。優秀な人の能力に見合っただけの仕事、地位を与えないから組織自体が能力不足になっていく。差別していろんなものを別々にするからコストが倍かかる。
NASAなんてアメリカ中の頭のいい人たちの集まりなはずなのに、ものすっごく頭の悪い非効率的非生産的なことが当然のようにまかり通っている。
でもそこが大きな問題なんだよな。当たり前だと思ってしまっていることが当たり前じゃないって気付くのって、とても難しい。
なのでキャサリンの怒りの訴えを受け入れて、即座に改善したケビン・コスナーがとてもカッコよかった。
それぞれの技術能力はもちろんのこと、キャサリンの言うべきは言う、言う時は言うという姿勢、前例を作るってことに特化したメアリーの判事との交渉、ドロシーのミッチェルへの最大級の皮肉、どれもカッコよく、そしてどれも頭いいなーと思った。三者三様のカッコよさ。三者三様の頭の良さ。
中でもドロシーの『知ってるわ。そう思い込んでるのも。』は名台詞。一瞬、言わんとすることを考えて、意味が分かってヒャーッなった。
んで。
作品としてはとてもいいのに、これまたいつもの邦題問題。公開前にSNS等で批判が続出して、慌てて『私たちのアポロ計画』っていうアホみたいなサブタイトルを外した今作。そりゃそうだ。いくらアポロ計画が分かりやすいからって、全く別のマーキュリー計画の映画にそれはない。
そんなこともあって"ドリーム"ってタイトルもなんかなーって思ってたんだけど、観たらやっぱり違うって確信した。
途中でユダヤ人男性技術者がメアリーに技術者は云々みたいなことを言っていて、その時の台詞がタイトルが"ドリーム"なもんだから『夢がどうちゃらこうちゃら』って字幕になっていたけど、あそこで彼は「dream」なんて言ってなかった。彼の台詞で字幕として反映すべき大切な言葉は「possible」だった。「可能」って意味だから「実現」って意味にもとれる。それこそこの映画のテーマとしてぴったりだ。彼女たちは夢を見てるわけじゃない。目標の実現のために努力してるんだ。差別を乗り越えようとしてまで。
だからこの映画の邦題が"ポッシブル"だったらまだしっくりきたと思う。さすがに"Hidden Figures"、"隠された人々"ってのは難しいし。でも調べたら「figure」って動詞だと「計算する」って意味もあるので、その辺も含んだ絶妙なタイトルなんだなーと気付いた。だから多少難しくても原題でいい気がしてきた。
尽きることなき邦題問題。
んでんで。
途中で荒井注のカラオケボックス事件を思い出した。(ネタバレ)
"ドリーム" ★★★★☆