中学生だか高校生だかの頃、理科系の授業で”原子”がでてきました。今はどうかわかりませんが、その頃は物質を構成する最小単位でした。ふむふむ。
別の理科系の授業で”膨張し続ける宇宙”がでてきました。今、我々が想像できうる最大限です。その外側は”無”です。ふむふむ。
で、ここで思ったんです。”原子”の中も”膨張し続ける宇宙”の外もどうなってるのかわからないのなら、”原子”の中に”膨張し続ける宇宙”があり、”膨張し続ける宇宙”の外に”原子”の壁みたいなものがあるかもしれない。
つまり極小と極大はつながっていて、たまたまその間に存在するものが私たちであって、絶対的存在ではない私たちのことを無視すれば、極小も極大も同じことなのではないか。
これは『空間』の話。『時間』についても同じ。
”永遠”ってどのくらいでしょう?具体的にいうと。この宇宙がビッグバンで誕生したときから、やがて無くなるまでが我々が想像できうる最大限だと私は考えます。それ以外は”無”なのですから、『時間』の概念すら存在しません。
って、限界を設定してしまうと『空間』の話と同じ結果になります。宇宙の存在する期間を俯瞰すれば”永遠”はその意味をなさず、絶対的存在ではない私たちのことを無視すれば、”一瞬”となんら変わらないのです。”永遠”は”一瞬”であり”一瞬”は”永遠”なのです。
こんなことをずーっと考えていると、自分一人の存在がいかに小さいかに気づき、ほんっとにどーでもよくなってきます。とりあえず今が楽しけりゃいいじゃん、飲んどけ飲んどけって感じです。酔っ払ってタリラリラーンなぐらいが幸せなんです。
瞬間と永遠
曽我部恵一 / ユニバーサルJ
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