デヴィッド・フィンチャー監督、”ドラゴン・タトゥーの女”。
スウェーデン版とはやっぱり違う。まず物語の重点が違う。スウェーデン版がミステリーに特化していたのと対照的に、ミカエルとリスベットの物語として描いてある。だから長尺で映画的な起伏が抑制されていてサスペンスチックな演出も控えめ。
この辺はフィンチャーの前作、
”ソーシャル・ネットワーク”でも感じたこと。もう確信した。私はフィンチャーに不感症だ。
そして肝心のリスベット。これがまたやっぱり違う。
原作を読んでないから原作はうんぬんかんぬんてのはナシで、ただ単純に2人のリスベットを比べた時、私はスウェーデン版のリスベットの方が好きだ。
物語は同じなのに受ける印象として、スウェーデン版が『タフにならざるを得なかった』のに対し、フィンチャー版は『タフであろうとしている』ように見え、背負っている哀しさの度合いが違うように思える。そしてそれは振り子の原理で感情の吐露の激しさの度合いに繋がるので、スウェーデン版が常に暴発しそうなピリピリとした緊張感を備えているのに対し、フィンチャー版は何を考えているのか分からない無機質さを醸し出している。
スウェーデン版のリスベットはどこまでも【リスベット】で、そこに惹かれたのだが、フィンチャー版のリスベットは結局のところ【女の子】で、それはそれでかわいいのかもしれないけど、そうなるとリスベットの孤高さが失われてしまう。リスベットは唯一無二の【リスベット】だからいいのに。
てことで私的見解は、映画としてもリスベットのキャラクターとしてもスウェーデン版に軍配を上げる。
ごきげんよう。
”ドラゴン・タトゥーの女” ★★★☆